Diary
高校生の頃、無気力にブラブラしている愚息を見て「出てけ」と親父は言った。
「そりゃそうだな」それに従って卒業と同時に実家を出た。
初めての一人暮らしにワクワクしたが、すぐに金が底をつき家賃を滞納し始めた。
道路工事や深夜の工場などで日雇いバイトをしていたが電気、ガス、水道と順々に使えなくなっていき、水は公園に汲みに行った。いつも腹が減っていた。
そんな俺を気にかけて、アパートの隣に住む大家さんがよくご飯をお裾分けしに部屋まで来てくれた。
その度に「もっと部屋をきれいに使え」だの「若いのに昼間からゴロゴロして」だのと説教じみた事を言ってきた。
その日は、そんな小言から免れようと適当に話をふった。
「あっそう言えば!この天井のシミってなんすかね?」
木板の天井には何かを貼って剥がしたような日焼けの跡がついていた。
「君の前の住人は美大生で、描いた作品を部屋中に貼ってたんだよ」
そう聞いた瞬間にずっと忘れていた記憶の隅っこをポツッとスポットライトが照らすような感覚を覚えた。
俺も子供の頃は絵を描くのが好きだった。いやそれどころか、よく賞をもらったり地域の美術館で展示されたりして、区から送られて来る画材で絵を描くような子供だった。
とにかく日がな一日絵や工作に夢中だったのに。いつから忘れてた?
居ても立っても居られなくなって、大家さんにお礼を言ってすぐに部屋を飛び出した。
友達が通っていると言っていた美術予備校に向かった。
ちょうど夏期講習のタイミングと重なって何だか上手い具合にワチャっと紛れ込み、対象物を囲むようにして行う15人程度のデッサンの輪の中にしれっとイーゼルとスツールを置いて、借り物の画材で授業を受けた。
水道代も払えないような人間に授業料など捻出できるはずもなかったが、次の日もその次の日も当たり前みたいな顔をして一月ほど通った。
そんな事とは露知らず、若い講師は丁寧に教えてくれて「オマエは絵心があるよ」などと褒めてくれた。
「絵を描くの楽しいけど、これが将来なにになるんですか?」
そう質問すると若い講師は
「全ての人工物は、必ず誰かがデザインしたものなんだよ」
「???」首を傾げると。
「だからぁ。コレも!コレも!アレも!」と言いながら、俺の服を指差し、手にした鉛筆、吊るされた蛍光灯、窓の外を指差しながら「アレも!アレも!全部!世の中にあるものは全部!誰かが絵を描くことから始まったんだよ!」と言って笑った。
「ものづくりで飯が食えたらきっと幸せだろう」新鮮で刺激的な気づきだった。
ここが俺のスタート地点。